聖書の教え
自分の良さを生かす
一つ目は、自分の良さを生かすです。
皆さんの武器は何ですか、長所は無いという方。人は、誰しもギフトを持って生まれてきています。必ず人それぞれの良さを持って生まれてきてるんです。「長所」=「社会的に良しとされているもの」とは限りません。例えば、「優しく話を聞ける」ことが社会的に評価されていいなくても、立派な長所ですよね。
社会で求めるられているからといって、正しい、価値があるとは限りません。
社会に求められていない事でも、美しく素敵で価値のある事は無数にあります。
自分の良さを見つけて下さい。必ずあるはずです。その際、人は人なので比べる必要はありません。自分の良さは自分で決められれます。
あなた方は地の塩である。あなた方は世の光である。あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。-マタイ5:13
アンガーマネジメント
二つ目は、アンガーマネージメント。怒りのコントロールです。
人が他の人と働いたり、暮らしたりする以上、完全に怒りゼロというのは不可能です。人はそれぞれ違う、考え方に違いが起こった時それが怒りになる。ので、人間が全員違う以上怒りが起こる事自体は仕方のないこと。問題はそれを、どのようにコントロールするかです。
七つの習慣という本では、「刺激と反応の間には選択の自由がある」と説明しています。なにか、いらっとすることが起こったとき、次に取る行動は自身で選択できるということです。怒りに任せ乱暴にふるまうのか、主体的に怒りを鎮め他者との関係づくりに努めるのか、全ては自分次第です。どうしても、苦手な方は怒りを紙に書いてみるのをお勧めします。紙に書きだす事で、起こった事象を整理する事ができ、怒りを鎮めやすくなります。
しかし私は言っておく。兄弟に腹を立てるものはだれでも裁きを受ける。兄弟に「ばか」と言う者は最高法院に引き渡され、「愚か者」というものは、火の地獄に投げ込まれる。-マタイ5:22
男女関係
性的欲求が、人間の三大欲求である以上、男女関係でみだらな行いをしないというのはとてもむずかしいことです。世の中、不倫のニュースが後を絶ちません。インターネットはポルノで溢れかえっています。そんな中で自分を律して正しい選択をするのは難しいかもしれません。しかし、行動のあとの結果を思い描いて、性的にみだらな行動をするのは良いのか。意思の力で正しい事を行えるようになるべきです。
そうすることで、自制心が高まり自分に自信を持てる。問題に巻き込まれないようになります。
「みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまぜかせるなら、えぐりだして捨ててしまいなさい。体の一部が無くなっても全身が地獄に投げ込まれない方がましである」 -マタイ5:28
やり返さない
「目には目を。歯には歯を」やられたらやりかえしたくなるのは、当たり前の事です。
しかし、あえて、やり返さない選択をする。「そんな事をしたら人にいいようにやられる」「誰しもが善良なわけじゃない。世の中は勝つか負けるかの二択。やらなきゃやられる」「自分が損をするのは目にみえている」。やりかえさないことでどんなメリットがあるかというと
・対立が激化するのを避けられる。その結果大きな問題に発展しない。
・相手ではなく、自分の欠点に目がいく為、成長の機会を得られるようになる
・戦いが少なくなり、幸せになる。心が豊かになる。
このように人を許していく事で、自分自身のストレスが減り、より幸せな人生を歩むことができるようになります。「やり返さない=人のいいなりになる」ことではありません。いうべきことは真摯にはっきりと伝えます。そのうえで、人間はどうしても欠点があるので(私も含め)、それを認め、許す。やり返さない。そうすることで、長期的にみて必ず自分自身にもメリットがあります。やり返したいときはどうするか。
私はいつも聖書の言葉を思い出すようにしています。「Vengeance is Mine(復讐はわたしがする)」神様に委ねるということです。自分でやりかえすのではなく、神様に復讐してもらうようにします。
しかしわたしは言っておく、悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。-マタイ5:38
わたしは、上司との関係がほんとうにつらかった時、「敵」だと考えていました。
そのうえでこの聖書箇所を参考に自分を律していました。
敵を愛しなさい。「あなたがたも聞いている通り隣人を愛し敵を憎めと命じられている。しかしわたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害するもの為に祈りなさい。あなた方あなたがたも天の父の子となるためである。」
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟だけに挨拶したところで、どんな優れた事をしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 -マタイ5:43
上司が理不尽に感じたときは、逆にその人を愛するよう心がけました。
人に好かれようとしない
人には認知欲求というものがあります。「人に好かれたいとい欲求です」
良い事を見てもらうと、人に良く思われる。人に好かれます。
なので、良い事をするとき人に見えるようにしてしまいがちです。
しかし、そうすると、しばしば、良い事をする目的が「人に好かれるに変わってしまいます」。自分の意志で正しいと思う事だからするという事も、いつの間にか人に好かれたがり屋行動のように価値の低いものになってしまいます。なので、良い事をするときは、人にみえないようにします。人のためではなく自分の為に(自分を納得させる為)にやっている行動なんですから。
見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れた事を見ておられる父があなたに報いてくれるに違いない。 -マタイ6:1
コントロールできないこと
人間どうしてもコントロールできない物はあります。例えば「人は変えられない」とはよくいわれることですよね。人は変えられないですし、天気や寿命も変えることはでききません。大事な決断の結果もある程度は決められても最後はやはり「神様に託す」しかありません。それを、自分でなんとかしようとして、変えられない事にまで思いをはせるのは実に、非合理的です。「人事を尽くして天命を待つ」自分でできることまでなんでもかんでも頼むのは違いますが、コントロールできない物は潔く神様にお願いするという態度がとても良いです。あれこれ、悩まないと精神的に健康ですもんね^^
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日みずからが思い悩む、その日の苦労はその日だけで十分である。 -マタイ6:25
他人を評価しない
皆さん評価されるのは好きですか。評価されるのが好きという人はあまりいないのではないでしょうか。もし、「君はここが良い、ここが悪い。君ってこういう人だよね」などと評価されたくないのであれば、「自分が人を評価しないことです」
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁きで裁かれ、自分の秤で量り与えられる。」 -マタイ7:1
「自分の裁きで裁かれ、自分の秤で量り与えられる。」とはまさにその通りだと思います。
は何度もお伝えしたとおり、人間は完璧ではなく、多くの欠点あります。そして愚かです。他の人を見ると必ず欠点が目につきます。
大胆に求める
求めなさいそうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探すものは見つけ、門をたたくものには開かれる。 -マタイ7:7
人を大切に
だから、人にしてもらいたいと思う事は何でもあなたがたも人にしなさい。 -マタイ7:12